0. 私がフリーになった理由


私がフリーになった理由は、大きく分けて以下の3点です。

(1)独立志向と好奇心

一つ目は、もともと独立志向が強かったこと。一生会社員でいるのではなく、独立したかった。出来れば会社を立ち上げたいと思っていたのですが、まずは自営業からという感じでした。それから一つのことだけに腰をすえるのではなく、いろいろなところを見て経験したかったという興味や好奇心が強かったということがあります。

両方とも、親の影響があるかなと思っています。父は1970年代や80年代に空調設備工事の自営業を営んでおり、非常に高い技術力を買われて活躍していたそうです。当時は、空調の図面は手で書くしかなく、複雑な天井に空調を通すことができる人間が全国でもごく少なかったそうです。父はそれが出来る日本でも数少ない技術者で、通常の3倍の単価で東京から沖縄に呼ばれ沖縄博覧会のパビリオンの仕事をしたり、皇居・自衛隊・気象庁・その他多くの国の施設や、全国の特別な施設の工事を担当したそうです。

話がだいぶそれましたが、そんな父の姿を見て憧れを持ち、何らかの形で独立したいと思い、またいろいろな経験をしてみたいと思うようになったのだと思います。ここまでが1つなのか2つなのかそれ以上なのか微妙ですが、大きなまとまりとして1つとカウントします。

(2)報酬

二つ目は、報酬。会社員時代の給与はサラリーマンの平均は上回っており、決して安いということはありませんでした。しかし私の大学時代の友人は(私とは格段に異なり)優秀な人が多く、誰でも知っている有名大企業や国家公務員として働く人ばかりで、コンプレックスがありました。特に外資の証券会社やIT企業だと1000万を超えている人もおり、年収だけでももう少し多くしたいという思いがありました。

また、父が比較的高齢でいつ何があってもおかしくはないため、どのような状況になっても対応できる経済力をつけておきたいという思いもありました。

それから、私が2006年くらいにかかわったプロジェクトでの出来事も大きく影響していました。私は8人程度のチームのチームリーダーとなり、要員コストなどの情報も教えてもらえるようになりました。当時、私のチームの中では、外部から手伝いに来てもらっている派遣のSEやフリーランスのSEも含まれていました。彼らはいうならば下請けです。その人たちの単価や個人に支払われる報酬を聞いてショックを受けました。

単価は省略しますが、派遣のSEに支払われる給与が年収換算で私の年収のプラス200万円程度、フリーランスのSEに支払われる報酬が私の年収プラス300万程度でした(その上、私の年収は残業代も含めた額で、派遣の人やフリーランスの人の給与・報酬は、基本給部分の話であり残業代は別途上乗せです)。もちろん、年金・健康保険・退職金・福利厚生・住宅補助等の諸々の条件が異なるため単純な比較は難しいのですが、それを考慮しても下請けの人の年収のほうが明らかに私よりも多く、自分も同じように派遣やフリーでやって何百万か年収をアップさせたいと思ったという点が上げられます。

(3)会社に対する不満

三つ目は、フリーになった理由というよりも会社に対する不満や会社を辞めた理由という感じになります。これは細かいことの積み重ねです。その中でも一番大きかったのは評価です。正直、評価はされていたほうだと思います。社内の評価制度は、一定の基準をクリアしていれば毎年一段階ずつ登っていくというもので、しかし登れない人も少なくはなく毎年確実に上がっていれば、十分にいい評価といえるものでした。その中で私は毎年上げてもらっていた上に1回だけ2段階上げてもらえました。その意味では、決して悪い評価ではなかったと思います。でもそれは結局、同期と比べての相対的な評価に過ぎませんでした…。

私は、1年浪人し、1年ITとは関係ない会社で働き、その後2年専門学校(のようなところ)に行き、その後新卒としてIT企業に就職しました。つまり、通常の4年制大学を普通に入って普通に卒業した人と比べると、4年遅れているわけで、その点にコンプレックスを感じていました。そして自分は同期とではなく2~4年先輩をターゲットに負けないようにと思い努力し実力をつけやっていました。そして実際、そういう先輩たちと比較しても遜色ない程度の実績を上げられていたのではないかと思っています。

しかし、会社の評価としては「そこまでではない」と判断したのだと思います。当然といえばそうかもしれませんが、そういう点が私を失望させた大きな点といえます。言い換えれば「何年目」とみなされ相対的に比べてしかもらえないのではなく、絶対的な実力で評価してほしい、そういう思いがありました。この点については上司と深くは話していないのであと何年かしたら、そういう先輩に追いついたり追い越したりする評価を得られたかもしれませんが、今となってはよくわかりません。

それから、厳しい環境で思いっきり仕事がしたい、そういう思いもありました。正直な話、前の会社ではタラタラと仕事をする傾向が会社全体ありました。もっと厳しい環境で本気で真剣に仕事に取り組みたい、そういう気持ちがありました。

また、会社組織の仕組みにも不満がありました。基本的には大きなグループ企業のシステム子会社という位置づけで、社長や重役はグループの中心企業から数年毎に送られてくるというシステム。社員が重役以上になれることはなくまた、社長はシステムのことなど何もわからない人が、おおむね3年毎に送られてきていました。当然、長期的なビジョンを責任もって立てられるわけもなく、リーダーシップも発揮することなく無難に過ごして大きな退職金をもらってやめて行きます。そういう会社の本質的な仕組みに将来性を感じられなかったという点も上げられます。

また、家庭の事情により実質的には私が父を扶養する役割になっていたため、会社の福利厚生制度の扶養手当を申請したのですが、「配偶者が健在で、長男もいる状態ならば、次男に手当てを出すことは出来ない」との理由で却下されたという点も不満でした。

長くなりまとまりがなく、また他にも細かい点はいろいろあるのですがその点は省略し、ここまでを三つ目とします。


大きく分けてこの3点といえます。3つの比重はだいたい同じくらいです。
こんな理由で、わたしはフリーランスのSEになりました。